怒濤の日々を過ごしていました。
ありがたいことなのですが。
どこに着地するかわかりませんが、自分にとっての総括も含めての本日の投稿ということで。
「あやなす」。2012年9月の初演以来、約2年振りの上演でした。
今年の1月、僕が日本センターの理事を務めている、アシテジ国際児童青少年演劇協会のアジア会議というのが韓国・ソウルでありました。その会議の席で横に座っていたのが、
フィリピン教育演劇協会、通称PETAのプログラムをプランするクエングさん。今思えば、運命の出会いでした。その席で、どんな作品を作っているのか訊かれ、早速僕は昨年上演した「
不思議の記憶」と一昨年上演した「
あやなす」について話しをしました。帰国後、Facebookを通して連絡があり、Facebook上にある「あやなす」の写真を見て、是非この作品をPETAでやりたい、と。えっ、写真を見ただけで!って思いつつも、確かに僕の友人・
一井りょうに撮ってもらった写真群は力強く、映像も観たいとのリクエストにダッシュで応え、通常ではありえない速度で、PETAの尽力は相当なものだったと思いますが、国際交流基金の助成を受け、あれよあれよと言う間に招聘が決定。PETAの作品との二本立てでの上演が決まりました。テーマは「人々の苦難と生命力を物語る、静かなる演劇」。PETAの作品も「あやなす」も災害をテーマにした無言劇。コトバを使わずして物語る演劇作品上演企画として呼んでいただきました。
http://petatheater.com/2014/07/01/ayanasu-silent-stories-of-struggle-and-survival-from-philippines-and-japan-at-the-peta-theater-center/
せっかくフィリピンに行くのなら、せっかくそのために稽古をするのなら、せっかくこのテーマで再演するのならと、僕らは僕らの現状を踏まえ、約ひと月の稽古で作品を新たに創り直し、音楽もすべて
Takujiのものを使わせてもらい、
劇団わが町の劇場:
川崎アートセンター・アルテリオ小劇場で、まずは日本人に観てほしいという思いで、上演致しました。
以下、観に来てくださった方の感想の抜粋です:
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震災を題材のきっかけとしながらも、生と死を考える舞台として一人でも多くの若者に観てほしいです。
台詞がないだけにこの作品は世界に通用します。
台詞のない演技は演じるほうにも観る側にも想像力を刺激してくれます。
その想像力を育てることが決定的に足りていないのが今の日本の教育です。
上質な、良心を育てる想像力の育成こそ、今情報を受けることだけしかできない、想像力を失った日本の教育に不可欠と思います。
固定観念から解放された演劇。しかもわかりやすく、しかし深い本質を突いた舞台。おしきせでない音楽。あやなすは萌芽を感じさせてくれました。
日本からこのような上質な文化があるという表現活動を引き続き楽しみにしております。
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そして、フィリピンへ。PETAはもともと教育のための演劇を目的とした機関で、公演当日は
国際交流基金(海外ではJapan Foundationと呼ばれ、国際的文化交流などを助成する日本の機関)の絶大なる支援のもと、普段お芝居など観れない貧困層の若者も観客として招待し、キャパシティー450名の劇場に460名、二公演でしたので、約900名以上の観客に観てもらいました。僕の演出の意図として、ただシリアスなものでなく、笑いの要素もある作品にしたいというのがあったのですが、前半では観客がドカンドカンと笑ってくれ、芝居の途中では拍手も起こるという、日本ではあまり見られない光景がそこにはあり、僕自身も音響をやる傍ら興奮しつつも、俳優たちも、日本とは違ったそのライブ感に、刺激されるかのように、劇場と観客との一体感の中、演じているようでした。
フィリピンで二番目に大きいと言われている新聞にも翌日、批評を載せて頂きました:
以下その訳です:
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GMAニュース フィリピンの新聞「あやなす」演劇批評
演劇批評
「あやなす」日本の震災後の笑い、家族、そして不屈の精神
アンドレイ・メディナ GMAニュース 2014年7月27日午後4:01
土曜の夜、クエゾン・シティーにあるPETA-Phinma劇場にて、鳴り響くドラムと、その舞台上に天井から吊るされた白い服がむき出しに晒される中、芝居は始まった。
そして、白い服が落ち、それは、2011年の東北大震災と津波の生存者たちの複雑に絡み合う感情の物語の始まりを儀式的に表すものだった。
この作品は、ある日本の家族の、惨事中、そして惨事後の苦難に、即興から作られたノンヴァーバル(言葉を使わない)のパフォーマンスを通して、焦点を当てている。
静寂の中、俳優はすべてのシーンにおいて、生々しい感情を表現していた。また、照明と音楽が感情を揺さぶり、感情的な効果を高めていた。シリアスなトーンを表すかのように照明が落されるときもあれば、シーンの重要性を物語るように、強い照明がハイライトとして当てられるときもあった。
また作曲された音楽は、「あやなす」の素晴らしい振付と同等に、この作品の強力な点の一つであった。
ひとつ気づいたのは、シーンの移り変わりが、常に照明と音楽の間隔によって明らかに同様であったという点だ。
しかしながら、スマートな動きと計算された振付により、俳優たちは舞台上で優雅にその移り変わりを表現することを可能にした。
また、常に白い服が、命を含めた色々なもの、新生児から死までを象徴するのに使われていた。
最も良かったシーンの一つは、その白い服を用いて4人の俳優が、舞台中央の5人目の俳優を包容するシーンであろう。そのシーンは不意にしかし心を揺さぶる抱擁で終えるものだった。
私がこの作品について最も好きだったのは、時折挿入されるいくつかのコメディーシーンで、観客の心温まる笑いを誘っている点だ。
それにより、観客が楽しむこと、悲しむこと、そして震災の悲劇のあとの人間の魂の強さに引かれることができる、多様性ある作品に仕上がっていた。
結果、「あやなす」は飽きる瞬間が一つもない、楽しい作品となった。シンプルでありながらも笑えるコメディーにより、観客を家族の価値観というテーマに導き、後半の象徴的かつ、不屈の精神を物語るシリアスなシーンを通して、力強いメッセージを伝えることに成功している。
-BM, GMAニュース
「あやなす」(演出・大谷賢治郎)は比日友好月間を祝う行事として、日本の劇団銅鑼とPETA、国際交流基金マニラ支局のパートナーシップによって上演された。
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公演の翌日、僕らは現地の演劇人や教師にワークショップを行なう機会を頂き、「身体表現」「タブー」「即興からのシーンづくり」をテーマに6時間(実際には1時間超えの7時間)、まるで「あやなす」の創造過程を凝縮したかのような演劇ワークショップを行ないました。「あやなす」の出演者たちも参加し、言葉の壁を乗り越えた共同創造作業、「タブー」に於いては、性の問題や、家庭内の問題など、日本もフィリピンもない普遍的な「語ってはいけないとされていること」が浮き彫りになり、非常に興味深いワークショップになりました。終わりの時間が近づくにつれ、「まだ終わりにしたくないです!」という多くの声が、とても嬉しかったです。うん、「終わり」ではなく、ここが「始まりです」とワークショップを締めくくりました。
そして、帰国。
そして、その翌日。
今回もTakujiと一緒に行ないました。テーマは愛。タイトルを「愛コトバ」。
前半は色々な「愛」を語った詩やコトバを朗読し、後半は来てくださった方々に「今一番想っている人に対してのメッセージ」を書いて頂き、それらをランダムに読ませてもらいました。目の前にいる人たちが書いたそれぞれの「愛」のコトバを語る、いやぁ、いろんな種類の汗をかきました。僕の声も、Takujiの音も、それらのコトバに揺さぶられました。終演後は、二人して、なんだかこれまでのパフォーマンスで感じたことのないコトバにならない不思議な感覚を分かち合ったのを覚えています、なんだか今までしたことのない、笑い方みたいな。んん、愛はコトバにすると、自分に帰って来るから、恥じらいを覚える一方、やはり、「愛なんだよ」って思った夜でした。
世界中からの選りすぐりの作品を堪能、そして通訳の仕事の傍ら(って今回は公式通訳ではなかったので、ありがたいことにそこまで多忙ではなく。多謝!)世界中から集まったアーティストたちと交流を深め、未来の可能性をたくさん思い描いてきました。観劇の合間に、来年以降の日本での企画、日本の若いアーティストを集め、高学年向けの作品を創る試み、いや企みや、アジアのこれからを担うアーティストを集め、3年後の南アフリカで行なわれる、アシテジ国際児童青少年演劇協会世界大会に向けての作品づくり、来年行なわれるブラジルでのタブー・ワークショップに向けての日本・南米共同企画、北欧や韓国で活気づいてきている赤ちゃん向けの演劇作品を迎えての日本での試み、いや企みなど、多くの作戦会議を、台風にめげることなくしてまいりました。
3日の最終便で帰京。
その翌日。
昨年に引き続き、川崎アートセンター企画による、一週間のミュージカルワークショッップを行ないました。
昨年は定員20名で募集をかけたところ、54名の応募があり、全員合格にしてしまった僕は、二チーム作り、自然をテーマにした作品を一週間で作り上げるという強行を行い、その反省を踏まえ、今年は...定員20名の募集で、約140名の応募を受け… 僕は選べないので、アートセンターに抽選で40名まで絞って頂きまして。。。つまりは反省をあまり踏まえてはおらず。。。「宇宙」をテーマにアフリカ音楽を彷彿させる音で、下は6歳から上は63歳の参加者と、やはり二チーム作って、「大きな宇宙 小さな宇宙」という作品をみんなで創りました。
このワークショップの僕にとっての目的は、自分たちの想像力を使って、創造する場を作る、というもの。僕も含めた大人が指示をして動いてもらうのではなく、低学年だろうが、高学年であろうが、中学生であろうが、大人であろうが、自分たちで考え、想像し、創造するという作品づくり。勿論、結果、つまり発表も大事だけど、創る過程を大事にしたいなという思いで今年も行ないました。そのためには勿論こっちも忍耐力も試される訳ですが、同時に僕もどうやったら自分たちで創造できる環境を作れるのかという学びの場。今回も多くを子どもたちから、そして勇気ある大人たちから学びました。
と言っても、ある程度、前もって台本や、歌ってもらい、踊ってもらう楽曲は仕上げておかなければならないので、宇宙をテーマに台本や歌詞を作りました!
以下、歌ってもらった歌詞です:
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「大きな宇宙 小さな宇宙」
朝 目が覚めると
僕の上には青い空が広がっている
太陽が眩しく輝きながら
「おはよう」と声を掛けてくれる
優しい空はどこまでも続く大きな宇宙
僕も 私も
宇宙に向かって大きな声で挨拶をしよう
「今日もステキな一日になりますように」
この広い宇宙ではすべてのものがつながっている
この広い空の下 すべてのものがつながっているように
この空いっぱいに広がる宇宙のように
僕の心にも 私の心にも
大きな宇宙が広がっている
夜 眠る前
私の上にはきらめく星が広がっている
お月様は星々に囲まれて
「おやすみ」とそっとささやく
優しい夜空は果てしなく続く大きな宇宙
僕も 私も
宇宙に向かって小さな声で挨拶をしよう
「今夜もステキな夢が見られますように」
この広い宇宙ではすべてのものが輝いている
この広い空の下 すべてのものが輝けるように
この空いっぱいに輝く星のように
僕の心にも 私の心にも
たくさんの星が輝いている
僕の心が
私の心が
広がって行くのは
お父さん
お母さん
お兄ちゃん
お姉ちゃん
弟
妹
そして大きな宇宙がやさしくそばにいてくれるから
僕の心が
私の心が
輝くことができるのは
家族が
友達が
そしてたくさんの星たちがいつもそばにいてくれるから
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最後の最後まで、完成を目的とせず、創る過程を大事に心掛けて指導させてもらうなか、参加者が自主的にお客さんに観てもらうために、ワークショップから稽古モードに入っていく姿には心から感動しました。子供同士が、年齢の違う者同士が、声をかけ合って、お互いを補い合って作品を仕上げて行く。下級生が台詞を忘れれば、上級生がそれを教え、隣りの子が振付が定かでなければ、年齢関係なく、先に覚えた子が、一緒に振りを練習したりとか。
僕は全体の構成やら演出やらやらせてもらっている訳ですが、実は一番、教わってるのかもしれません。
関わっていただいた、作曲家・西村勝行さん、振付家・松浦希実さん、歌唱指導・萩原かおりさん、パーカッション・やまだはるなさん、ピアニスト・山田由起子さん、そして、川崎アートセンターの皆さんと参加者の皆様に
多謝。
と、ここまで先に文章を書いて、この文章の中に写真を織り交ぜて行く作業を今からします!
長々と読んで頂きありがとうございました!