2011-08-07

8月6日におもう

広島に原爆が落ちて66年が経った。


日本ではこの時期になると戦争の悲惨さや恐ろしさについてテレビなどで語られる。
その度に「この悲惨さを忘れてはならない。同じ過ちを二度と起こしてはならない」と語られる。引き裂かれた家族の話、被曝して全身にガラスが突き刺さり9ヶ月間布団に寝れなかった少女の話、大切な人を失った話、未だに原爆症で苦しむ人々の話。。。

小学校の頃から平和学習を受けてきて、小学校6年のときには学習旅行で広島に行き、被爆者から話を聞いたりしてきた僕は、この悲惨さを忘れてはならないと思いながら、忘れてきた。忘れてた。その忘却が集大成となり、今の現実があるのだと思う。

毎年毎年この時期に同じコトバが繰り返され、その度に思い出され、”この悲惨さ”を耳にするのに、”この悲惨さ”は未だ繰り返され、対岸の火事のごとく世界の至る所で起きているその”悲惨さ”が日常茶飯事の渦に埋もれて行く。

同じ過ちを繰り返してはならない。と僕も思う。でも同じ過ちが繰り返されるのは、”同じ過ちを繰り返してはならない"が未だ本気なものになってないのからかもしれない。
同じ過ちを繰り返してしまう社会に便乗してたからかもしれない。

自分が今享受しているもの、それは同じ過ちが起こりえるものの上に立つ恩恵なのか。

原爆も原発による事故も惨い。忘却や無知によるその恩恵が当事者の自分にのしかかる。

実体験をしていない自分は想像力をフルに駆使するしかないな。
前向きに悩む。

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