2008-02-01

the end of January


このブログを始めてひとつきになる。なるべく日々更新をと思って始めたもののなかなかそうはいかないものだ。携帯であまり写真を撮る習慣もないからか、ブログに書こう、みたいなこともつい写真を撮り損ねている。人間ワンセグにはまだ程遠い・・・。
1月もつい先程幕を閉じた。早すぎる1月の終焉。ひとつき遅れの師走だった。
先週末、友人が結婚した。僕は生まれて初めて結婚式の司会をした。司会らしからぬ司会。でも思いのほか司会を楽しめた。勿論、せっかくの美味しい料理はむさぼるばかりで味は覚えていない。フォアグラを口にした途端、和牛のフィレを噛みしめた次の瞬間、式場スタッフが容赦なくやってきては、「では、次の進行お願いします!」 ・・・・・。
ともあれ、出会いというのはやっぱりすごい。僕がその友人と会ったのも、4年前、イベントでバーテンやってたときのこと。その彼が、新婦さんと出会ったのも、あるパーティで、たまたま同じ時計をしてたからとのこと。そして、結婚式でそれぞれのご両親を見ながら、彼らがどうして出会ったのかのに思いを馳せた。出会いの連鎖によって新しい出会いが生まれていく。
こないだ、高校の3年間を一緒に過ごした友達と二人で映画を見に行った。男二人で映画を見に行くというシチュエーションに二人で笑いながら、映画の後、新橋のガード下で飲んだ。高校のときに公園とかで人生語ったり、未来語ったりしてた友人。18年後の今も結局自分たちと人生や未来について語っていた。お互いがお互いに興味を持ち、聞きたくて溜まらない、聞いて欲しくて溜まらない・・・そんな会話が出来るんですよ、やっぱ、出会いはすごいって話。15で出会って、そのときはそんなこと考えてないのに、また再会してケツを蹴りあう(舐め合う?)。ノスタルジーに浸るのでもない、とにかく嬉しかった新橋の夜。
きのう、サッカーを観に行った。高校の同級生でサッカー通の友人から、とてつもなくいい席のチケットをもらって観に行った。メインスタンド前から6列目。選手の熱気が諸に伝わってくる。すごい練習を重ね、すごい努力をして世界の舞台に立っている日本代表の選手たち。外野は色々言うけれど、芝居や映画に関わっている人間として、敬意払いまくった。やっぱすごいよ、あの舞台に立てる彼らは。並大抵の努力じゃないでしょ。貫いていってるその姿を見せてもらって、心地よかった。

で、どのシチュエーションにおいても写真一つ撮っていなかった。ので、その結婚した友人とアイダホに旅したときの写真載せておきます。

And 最後に友人が掲示板で見つけてきたという文章を転載します。よい話です:

「クイズの時間だ。」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。

その壺に彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、
彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そして砂利を壺の中に流し込み壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。

そしてもう一度聞いた。「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。
彼は学生に最後の質問を投げかける。「僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」

一人の学生が手を挙げた。「どんなにスケジュールが厳しい時でも
最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込む事は可能だということです。」
「それは違う。」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ。
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう?」と教授は話し始める。

「それは仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、
自分の夢であったり…。ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を
満たしていけば、君達の人生は重要でない「何か」に
満たされたものになるだろう。そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事。」

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