2009-10-31

十二人の怒れる…by ニキータ・ミハルコフ



















知ってますか、ロシアの監督、ニキータ・ミハルコフ。

ケン・ローチや、クリント・イーストウッドと同様に尊敬している監督。

今そのタイミングで、自分が伝えたいこと、伝えなきゃって思っているだろう監督。

ロシアの現実と重ね合わせて、もともとはアメリカの戯曲を映画にしてます。

戯れる曲、か。

日本でも陪審員制度、いつの間にか始まってます。

久しぶりに、あっDVD買いたいかもって思う映画なり。

維新派 ろじ式

ようやく観れた。

大阪の劇団。

常に野外に劇場を求め。

ことばを遊び
ことばと遊び

ことばと向き合い

紙の上に書かれた二次元のことばの世界を、舞台の上に乗る三次元に変えていく。

台詞ではなく、ことばの連続性が、知らぬまに紡がれていくみたいな。

いやぁ、マジ観れて良かった作品でした。

生きものが標本化されたとき、生きることから解放される。

いわゆる芝居と言う名で括られる、起承転結な物語はそこに存在せず、なのに、もともと、あたかも、自分の中にあった感覚がくすぐられる、みたいな感覚。

感覚?

感触?

なんだかとても懐かしくなる、くすぐったい作品でした。

キリがないので、この辺で。

2009-10-21

センポ・スギハァラ いい芝居でした


単刀直入に言います。

観に行ける人、観に行ってください。

劇団銅鑼公演
「センポ・スギハァラ2009』

今週末、日曜まで池袋の東京芸術劇場でやってます。






戦時中、ポーランドからリトアニアに行き場を求めたユダヤ人たち。
彼らに対して行なった、リトアニア日本領事代理・杉原千畝が自ら決断した行動。

戦争という狂気の時代において、とある日本人がとった行動。責任ある立場の一人の人間の行動。

勇気ある人の行動は、人の心を打ちます。

むしろ、今パレスチナの土地にいるイスラエル人に見てほしい作品でした。

かつて行き場を失った人々が、これ以上、行き場を失ってしまう人を作ってはいけないと思うし、
かつて行き場を奪った人々が、これ以上、行き場を失ってしまう人を作ってはいけないな、と思うのです。

この地球上において、かなりいい脳みそをもらって生まれてきた人間。
その脳みそ、いいことに使いたいもんです。
この星を良くするも悪くするも、かなり人間次第。

芝居観に行ける人、観にいってくださいな。

以下ページにて詳細を。

ランチ・ミーティング 訳して 昼飯打ち合わせ 初参加














写真は5時過ぎの東京の西の空。校舎から。

ずぅっとずぅっと気になってた場所。
ずぅっとずぅっと前から行ってみたかった場所。

ようやく行ってみた。

東京・池尻にある『ものづくり学校』

モノを創っている知り合いが多く出入りしている場所で、行く機会もこれまでにもいっぱいあったにも関わらず、なぜだろう、今日初めてお邪魔してきました。

廃校になった学校に、創造することを目的としたいろんな人たちが、嘗ての教室に事務所やらスタジオやらお店やらを構えている。

そこで行われている、メディアサーフ主催のランチミーティングに参加。映像創っている人、農業に関わっている人、靴を創っている人、人と人を繋げている人、お宝を探している人、学校を創っている人。
さくっと顔出してお暇するつもりが、あまりにも居心地がよく、だらだらと6時間以上いさせてもらいました。

すいません。

最終的には、今夜どこか別の場所で会う予定にしていた、映画監督をも、じゃあここで会いましょう!みたいに呼び込んでしまい。4年前に彼が撮り、自分も出させてもらった映画が来月、池袋で公開されるということで。

居心地よく。天気よく。面子よく。こんなことしたい!じゃ、してみよう!が集約された場所、にて

−−−−−−

今日、池尻行く前に。

「けんさん、いい芝居見たいです。でも一つのいい作品に出会うためには、何本も観なくてはいけなくて。日本人はそこまで飢えてないかもしれません。舞台と観客との距離って、やっぱ、慣れるまで時間かかるから。一度いい作品に出会ってしまうと、その距離って一気に縮まるんだけど。だから、僕は飢えてる。」

「もし、100本観て、1本いい作品に出会えたらラッキーかもね。芝居に限らず、映画も、絵も、音楽も、人も。」

逆説的に言ったら、出会ったものすべて善しと。でも更に逆説的に言うならば、出会いって奇跡なもの。たまたま聞いた話が、たまたま行った場所が、たまたま、出会った人が、ずっと大事に思えるモノになる。

何かしたくてたまらないなと思ってた今日、いい出会いを発見しました。

だから・・・ってのは嘘で、池尻から家まで2時間かけて歩いて帰りました。
流れ星が見たくて。

2009-10-18

未知はおもしろい ー 想像と妄想と ー コーヒーとたばこ

今日は2ヶ月振りの演劇ワークショップをしてきました。

色々なネタを考えては行くのだけれど、実際は現場の参加者の空気で創っていくものなので、今日も現場でああしたい、こうしたい、と思いながら。それをやってみる参加者の方々。で、またそれをみて、じゃ、次はこんなことやってみよう、みたいな。

今回で10回目を迎えたワークショップ。毎回、色々気づきをもらい、感動をもらい、課題をもらい。

普段は、当たり前だけど、全く違う生活や環境を生きている人たちが集まってくるワークショップ。だから、こっちも、その度に何ができるだろうと考える機会をもらう。

芝居の本番と一緒で、ワークショップ行く度に、電車の中、緊張している自分。

未知は緊張します。何かしらを用意して行っても。
予定は未定の緊張感。

だからこそ、続ける価値あり、です。

知ることも増やして行きたいし、知らないことも増やして行きたいな。

なるべく、バラバラな面子を増やして行きたいので、興味ある方、連絡くださいな。

今日ワークショップをやってて思い出した映画、Coffee and Cigarettes コーヒーと煙草。
その中の大好きなシーンをUPします! またTom WaitsとIggy Pop。大好きな二人の計画的即興か、無計画的確信犯か、ごらんあれ。かっこつけたり、実は弱かったりみたいな。






2009-10-17

ヴィヨンの妻



















今夜観てきました。
観てきたばっかりなので、まだ頭の中、収集ついていません。
だけど、なにかを書きたくて。

だけど、うまいこと言えません。

つい最近、たまたま母親が若かりしき頃買っただろう80円の文庫本で太宰治を読破中で。

わびさび。

白や黒で判断する合理的なものから全くかけ離れた、とても曖昧な感覚。なのでしょうか。

どちらかというと、人に何かを説明する時、なるべく明確に伝えたいと思ってしまう自分の傾向。でも、ほんとは自分の中で、実はあやふやで曖昧で、歯痒かったりする。

それって、つい恥ずかしいと思っちゃうから、理屈で喋り出す。

その恥ずかしい部分、でも、ほんとはそうなんだよって言いたくなってしまう部分。

わかりにくい説明ですが、そんな映画でした。
つまり、説明をしない映画でした。

この話の主人公は大谷穣治と言います。よけいにドキドキしてしまいました。

松たかこさん、浅野忠信さん、美術、照明、カメラワーク。印象的でした。やられました。

昭和20年代の中野の飲み屋で繰り広げられる話をスクリーンで観て、どうしても赤提灯で日本酒飲みたくなり、煮込みが食べたくなり、渋谷にもかかわらず、まさに!という飲み屋を偶然かはたまた必然かで見つけ、熱燗をいただいて帰宅。

酒亭・千。明治通り沿いにて27年営業中。


2009-10-16

不毛地帯 と トム・ウェイツ と 高校の思い出

今夜久しぶりにテレビドラマを見た。


不毛地帯。

山崎豊子さん原作。大好きな作家です。

で、何よりもびっくりしたのは、エンディング・テーマソング。
色々な思い出がつまっている、僕が一番好きな曲、のひとつでした。

昨夜に続き、今夜もしびれました。

とても曖昧な歌詞。なのに、ドンピシャな曲なのです・・・
戦争のこと、だけを歌ってるわけではないのに、二度と抗いたくないなと思わせる曲です。


僕が高校のときにコピーしたバンド、The Pogues も 同じ題材で歌っています。たまりません。



指示待ち症候群 と ピンクフロイド

以下、友人へ書いたメールなんですが、言いたいこと言えてるような気がするので、ブログにもアップします。

”主体性” 自分の中でも一つの大きなテーマです。それは自分に課せるものではなく、というのも、ある意味、自分はわがままなほど、主体と主観重視で生きてきたもので・・・、演出のような立場に立った時、俳優も含め、関わってくれる方に常に追い求めるもの。全体、それは組織だったり、集団だったり、クラスだったり、大きく括っちゃえば社会だったりなのですが、その中で自分で考え、自分で行動する。

これはある意味、俳優など芸術家の特権であったりする訳ですが、どうしても指示待ちになってしまう俳優が多いような。ときに自分も含めて。それは、演出家のいうことをちゃんと聞くという意味では良いのですが、僕が思う演出家は俳優やその作品に関わる全ての本人が持っているものを引き出す手助けをする役割なわけで、と演出側のときに気づき。

僕はこれを

指示待ち症候群。 と呼んでいます。

日本全体にと言ってしまえば、日本の全てを知らない僕が言うのはおくがましいのですが、少なくとも東京ではそんな気がします。

電車に乗っても、駅で待ってても、エスカレーター一つ乗るのにも、全部、どこかしらからか ”とある” 声で教えてくれる。自分で考えなくても、ぼんやりしてても、全部教えてくれる。
自分で考えなくてもいいような、システムの中に組み込まれているというか。

これは23のときにアメリカから日本に帰ってきて、まず最初に感じたことでした。
いいとか悪いとかではないのですが、アメリカではバスに乗ってても、電車に乗ってても、次の停車駅のアナウンスもない(当時は)。ましてや、つり革におつかまりください、とか、忘れ物にご注意ください、なんて皆無。

こどもたちとワークショップやってても、なんか指示待ってる、って思っちゃう。でも、こっちが機会さえ作ってしまえば、さすが子供の瞬発力、なんとか自分で考えて行動する。これには脱帽です。えっ、自分で考えてやっていいの?みたいな子供たちの戸惑いも、なんかいい。社会としては、言うこと聞いてくれる人たちを育てていく方が、都合良いのでしょうが、個人的には、そういう意味では反社会活動?してるのかも。信号無視を推奨してる訳ではなく、どうして赤くなったり青くなったり、を自分で考えてみて、みたいな。

ここ最近、劇団銅鑼・ハンナのかばんの地方公演の演出をさせてもらってるときも、俳優さんやスタッフさんが自分で考えて行動!みたいな環境づくりに気をかけてきたつもりです。(ですよね?って劇団関係者への振り)
各地方でのワークショップでもいろんな人が来てくれる中、それを一番意識していました。
こっちも思わず、こうして!ああして!って言いそうになっちゃう中で。いや、言ってしまうことも多々。

昨日アップした、マドンナのスピーチも主体性を強く感じるんです。

主体性をもつ人間はどの社会に生きてても生きにくく。マイケルの死を受けて物語るマドンナを見てても、そんなこと感じてました。

主体性を持って生きてきた尊敬すべく、ジョン・レノンやマイケル・ジャクソンも・・・謎の死につつまれてる。WHY?

今日はどんな映像を・・・と思っていて思い出したのが、ピンクフロイドのAnother Brick in the Wall でした。 The Wallという映画。機会あれば是非!


2009-10-15

CHICAGO



















観てきました!
出演者の生き様が、そこに照らし出されている。そんな舞台でした。
特に主演の二人。一人はメキシコ出身。もう一人はカナダ・モントリオールの出身。そんな二人がブロードウェイにてCHICAGOに抜擢され。てって、あとでプログラム読むまでは知らず。
でも、とにかく二人が舞台上で生き生きしているのが、ものすごく美しくて。

みんなそれぞれが、自分の階段を上ってきて舞台上に立つ。俳優である所以。
どんな階段を上ってきたのか。それは計り知れないけど、海の向こうから日本に来て、まさか、日本で舞台を踏むなんて想像もしてなかっただろう、かつての階段上にいた俳優たち。

日本代表・大澄賢也さんも本当に生き生きとしていました。

舞台に立っている俳優が、舞台に立てるのが楽しくてしょうがない!って感じ思わせてもらえる舞台でした。

ロキシー・ハート役、ビアンカ・マロキンさん、必見!

マドンナからマイケルへ


しびれるスピーチです。
原稿も持たずに、建設的に詩的に。

英語もゆっくりときれいです。英語学んでいる方、是非。
上の映像はスペイン語の翻訳付きなので、スペイン語を学んでいる方も是非。

日本語の字幕で見たい方は:


にアクセスして見てください、な。

演劇ワークショップのお知らせ

興味がありそうな人へ。

毎月1度開催しております、一般対象の演劇ワークショップを今月も来週18日(日)に開催致します。

自己解放、コミュニケーションスキルアップ、自由な表現方法の模索、出会いを求めて(笑)など参加者の目的も様々です。

”人前で芝居してください”などと、びびらせるようなことは言いません。僕がアメリカやイスラエルや日本の現場で学んできたことをごちゃまぜに、実際の芝居の稽古やワークショップでやるウォームアップのためのゲームを色々とします。

良かったら遊びに来てください。

大谷賢治郎 演劇ワークショップ Vol.10
2009年10月18日(日) 16:00~19:00
場所:TFS幼児教室 自由が丘校 目黒区自由が丘2-19-8
参加費:2000円
開催の場所のHPです。
http://www.tfs1965.co.jp/

参加したい方はご一報ください!

2009-10-14

幼馴染みと結婚式

高校時代をともに過ごした友達が、小学校からをともにした友達の妹と結婚した。人生の半分以上を共にした面子が集結。再会と祝福のダブルパンチ。ドキドキとニコニコ、みたいな。

15のときから知っている友人が披露宴でスピーチ。鉄は熱いうちに打て!ではなく、熱い鉄はなかなか冷めないぜって思えた。

「もし今日結婚するこの二人が幸せになれない社会がそこにあるとするならば、ぼくらはその社会を変えていかなければならないという責任があると思います。」

社会とか世間は、もともとそこにあるものでなく、うちら人間が作っているもの。
だから、うちらが生きるその環境を良くするも悪くするも、好きな友人を大事にすることから始まる。のかなと。

結婚式、めっちゃキラキラした空気が流れてるんです、人の幸せを祝う会だから。
それでいいと思うんだけどな。それが、いいと、思うんだけどな。

双子の子供たちが、The Beatles の Love Me Do を熱唱してました。最高でした。