2009-10-16

指示待ち症候群 と ピンクフロイド

以下、友人へ書いたメールなんですが、言いたいこと言えてるような気がするので、ブログにもアップします。

”主体性” 自分の中でも一つの大きなテーマです。それは自分に課せるものではなく、というのも、ある意味、自分はわがままなほど、主体と主観重視で生きてきたもので・・・、演出のような立場に立った時、俳優も含め、関わってくれる方に常に追い求めるもの。全体、それは組織だったり、集団だったり、クラスだったり、大きく括っちゃえば社会だったりなのですが、その中で自分で考え、自分で行動する。

これはある意味、俳優など芸術家の特権であったりする訳ですが、どうしても指示待ちになってしまう俳優が多いような。ときに自分も含めて。それは、演出家のいうことをちゃんと聞くという意味では良いのですが、僕が思う演出家は俳優やその作品に関わる全ての本人が持っているものを引き出す手助けをする役割なわけで、と演出側のときに気づき。

僕はこれを

指示待ち症候群。 と呼んでいます。

日本全体にと言ってしまえば、日本の全てを知らない僕が言うのはおくがましいのですが、少なくとも東京ではそんな気がします。

電車に乗っても、駅で待ってても、エスカレーター一つ乗るのにも、全部、どこかしらからか ”とある” 声で教えてくれる。自分で考えなくても、ぼんやりしてても、全部教えてくれる。
自分で考えなくてもいいような、システムの中に組み込まれているというか。

これは23のときにアメリカから日本に帰ってきて、まず最初に感じたことでした。
いいとか悪いとかではないのですが、アメリカではバスに乗ってても、電車に乗ってても、次の停車駅のアナウンスもない(当時は)。ましてや、つり革におつかまりください、とか、忘れ物にご注意ください、なんて皆無。

こどもたちとワークショップやってても、なんか指示待ってる、って思っちゃう。でも、こっちが機会さえ作ってしまえば、さすが子供の瞬発力、なんとか自分で考えて行動する。これには脱帽です。えっ、自分で考えてやっていいの?みたいな子供たちの戸惑いも、なんかいい。社会としては、言うこと聞いてくれる人たちを育てていく方が、都合良いのでしょうが、個人的には、そういう意味では反社会活動?してるのかも。信号無視を推奨してる訳ではなく、どうして赤くなったり青くなったり、を自分で考えてみて、みたいな。

ここ最近、劇団銅鑼・ハンナのかばんの地方公演の演出をさせてもらってるときも、俳優さんやスタッフさんが自分で考えて行動!みたいな環境づくりに気をかけてきたつもりです。(ですよね?って劇団関係者への振り)
各地方でのワークショップでもいろんな人が来てくれる中、それを一番意識していました。
こっちも思わず、こうして!ああして!って言いそうになっちゃう中で。いや、言ってしまうことも多々。

昨日アップした、マドンナのスピーチも主体性を強く感じるんです。

主体性をもつ人間はどの社会に生きてても生きにくく。マイケルの死を受けて物語るマドンナを見てても、そんなこと感じてました。

主体性を持って生きてきた尊敬すべく、ジョン・レノンやマイケル・ジャクソンも・・・謎の死につつまれてる。WHY?

今日はどんな映像を・・・と思っていて思い出したのが、ピンクフロイドのAnother Brick in the Wall でした。 The Wallという映画。機会あれば是非!


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