2010-02-28

ベルナール・ビュフェ展



















25日に。
誕生日だから散歩。
目黒川沿いを。
春一番の暖かい風に吹かれ。
気持ちよく。

目黒区美術館。


ベルナール・ビュフェ。
見覚えのある絵のポスター。
ん、誕生日に美術館。
もってこいかも。

立ち寄りました。

最高の誕生日プレゼントになりました。



















4月11日までやってます。

藤田嗣治さんの絵も同時開催で見ることができます。



















ラッキー、俺。















38になったスタートがこれ。

良い年になりそう。

2010-02-19

ユキとニナ













諏訪敦彦監督の作品。
僕が日本に帰国後、最初に出会わせてもらった監督。

現在、彼はフランスで映画を撮っている。

両親の離婚に直面している女の子二人。
一人はフランス人。もう一人はフランス人の父と日本人の母の間に生まれた女の子。

子供たちにとって、夢に見ることは現実の延長線にあるものなのかも。
夢なのか現実なのか断片的に物語は進んでいくのだけれど、きっと子供の在り方ってそういうことなんだと思う。こどもの生き方って、そのものが断片的。

つまりは、夢想することと現実とを区別しないんだと思う、子供は。もしくは大人も含めた人間は。

妄想や想像や、目の前に起きていることや、寝不足や食欲や、すべてひっくるめてリアリティー。

ここのところ、子供を描いた映画ばかり偶然的に立て続けに観てる。

動くな、死ね、甦れ −戦後のソビエトに住み、その現実の中をどう生き延びるか旅する子供のはなし。

かいじゅうたちのいるところ −自分の想像を現実的に体験するはなし。勿論瞬く間に感情移入。何度この原作を読んだことか。

WALKABOUT −イギリス人の姉弟がオーストラリアの原住民に出会い旅する話。自然のなかでの発見の連続。18のときに留学してた大学の映画のクラスで観て、ショックを受け、それ以来、タイトルを忘れたが故にやっと再会した作品。

つまりは、自然っていうのは夢の世界への入り口なのかも。

ユキとニナ。
フランスの森から日本の森へ。ネタばれになってしまうから皆まで言えないのだけれど、日本の森には何かが宿っている、って自分の日本人性に直面。もののけ? トトロ?

僕は色々な意味で多くの共感をおぼえた作品でした。
色々な二重構造が重なっています。
大人と子供。日本と欧州。妻と夫。東京とパリ。自分と相手。

口に出してしまう発言と
こころにしまっておく思い。




2010-02-17

カティンの森



















多くは語りません。
観に行ける人、観に行ってください。
僕が最も尊敬する映画監督の一人、アンジェイ・ワイダの作品。

当然遅ればせながらの情報、19日まで岩波ホールにて。

しんどい映画だよ。でも観て。













ポーランドにアンジェイ・ワイダありき。
じゃあ日本には?



2010-02-16

Antony and the Ohnos



















大野一雄 舞踏家 現在102歳。

今では舞台上で彼が踊ることはないが、舞台上に彼を感じることはできると思う。
僕はアメリカから帰国した23歳のときから彼に舞踏を3年間学ぶ機会を得た。
そのとき彼は確か89歳。「わたしのお母さん」という演目で客席案内の役割を果たさねばと思いつつ、彼の踊りを観て両袖がカピカピになるまで泣いた。
俺はラッキー。かなり。

Antony 音楽家

Antony and the Johnsons を率いる。
僕は彼を最近まで知らなかった。彼の歌声を初めて聞いたとき、この人は神様か!と思った(マジで)。西洋で演劇を表す2つのお面、笑ってる顔と泣いてる顔。その感覚。2つの対のモノが具有している感覚。矛盾が正論でいいんだという感覚。
なんだ、この共感できてしまう感覚は。
調べてみたら大好きなLou ReedやBjorkと共演してる。そりゃそうだわな、セクシャルな意味だけでなく、両性が具有してるアーティスト同士、引き合うと思うな。

大野慶人 舞踏家

僕はこの人にも沢山お世話になっている。一雄氏に学んだ3年の間、この人からも舞台に立つこととはどういうことかを学んだ。「歩く」ということ。
「革命を起こしてください」と23の時から僕に言い続けてくれた人。
若いときにこの親子に会わせてもらった俺はラッキーだ。かなり。

この3人が数日前の夜、共演した。歌と踊りと演奏と映像と。
草月ホールにて。

実はチケットはもう完売だった。
俺の友達が当日券が出るからと並んでくれた。
そしたら、チケット一枚余ってしまってと彼に話しかける人がいた。
その友人から電話、「あと5分で来て。チケット譲ってくれる人がいるから。」
当然、俺は全ての信号を無視してチャリを飛ばした、そして感謝の固まりのようなチケットを手に入れる。
奇跡は続く。
勿論、彼と席は隣同士。話をする。
「学生の時に慶応で大野先生の踊りをみて・・・」
それはまさに俺が袖をカピカピにした公演。

奇跡は続く。

この公演のタイトルは「魂の糧」
そのときは特に気にしていなかったけど、
今になって思う、
そういうことかと。

魂の糧になる舞台でした。
かなりラッキーだと思う、この舞台を見れた人。

一緒にいた友人と僕は公演後、暫し呆然とし、そのラッキーさを噛みしめました。とさ。



2010-02-10

はい、奥田製作所。












町工場の話し。

今日、昔から世話になってる町大工さんを誘い観た芝居。

こないだブログに書いた大家さんのとこに住まわせてもらってた頃、やはりその大家さんが、その町に住む人達を紹介してくれた。

人と人の約束が大事なんだ、と教えてくれた町。

そのほとんどが皆職人さん。大工や材木屋や電気屋やペンキ屋や。
みんな情が熱いから面倒見もいい。

その町とは、今で言うとこの白金高輪。今こそ都市開発で変わっちゃったけど、その上、何だかセレブな響きだけど、この町、南麻布に昔から住んでる職人さん達に俺はお世話になりました。

そんなこと思い出させてもらえる芝居でした。

今日誘ったその町大工さんは目を真っ赤にして、今まで観た芝居で一番良かったって言ってました。
多分、色々感じるとこあったんだろうなと。

人と人の約束。
契約書よりも大事なもの。
守れない約束もときにはあるけど。

ってな名台詞もあり。

観に行ける人、必見です。

劇団銅鑼公演
はい、奥田製作所。
新宿・サザンシアターにて
13日まで。

今日、NHKのニュースにもなってだで

2010-02-09

血は立ったまま眠っている



















これが芝居のタイトルだ。
それだけでもすごい。
寺山修司が自分がそれまでに書いた短歌などを集め戯曲にした、彼23歳にしての処女戯曲。
詩的な曖昧さがなぜか共感できてしまう個人の悩みや社会への視線を露にしている。
「わからない」ことばのあやが、いつのまにか「わかる」思いになっている。
という感覚。

昨夜見てきました。高校の時に最初に彼の本を読んで以来、久々でした、この感覚。

寺山さんの劇団、天井桟敷のオリジナルメンバー、蘭妖子さん。実は10年前くらい同じ大家さんのところで暮らしてたことがあって。蘭さんは大家さんちのお二階で、僕が裏で。
今回も出演なさってる蘭さんにめちゃ良い席とってもらいました、そして、僕はその大家さんと一緒に観に行きました。

終演後の楽屋で小さな同窓会を開きました。

主演のV6の森田剛君がとてもよかった。

渋谷の文化村で16日までやってます。

2010-02-03

小池一馬 one of my favorite artists in Japan




















「だって描かなきゃでしょ。」って真っ直ぐに言う男。

小池一馬。

マジ大好きな絵描きであり、彫刻家であり。

色も世界観も、計り知れない実直さも。
俺は大好き。





















彼のホームページ。




















個展の詳細。足を運んでください。彼の絵を見てどう思ったか感想募ってます。
分かち合いませう!!

小池一馬「瞬き」
2010.1.22(Fri)-2010.2.19(Sun)

hpgrp GALLERY TOKYO
150-0001東京都渋谷区神宮前5-1-15 CH ビルB1F
Tel:03-3797-1507
Fax:03-6805-0840
営業時間:11:00AM〜8:00PM
定休日:月曜日

約5年前、自分たちでプロデュースした芝居のときに、こんな絵を描いてもらいました。
そこからの始まり。

「男はみんな犬のように」














−−−−−−−−−以下、ギャラリーのHPより抜粋。

ペインティング、ドローイング、立体作品とジャンルを超えて精力的に作品を
発表している小池一馬の新作展「瞬き」をご案内申し上げます。
 水彩絵具とインクの滲みを紡いでイメージを創り出すドローイングシリーズが
印象的な小池ですが、近年は水彩絵具とメディウムで作ったペーストを、綿布に
ペンチングナイフで「描くというより、チクチクと載せる」手法で表現するペインティングを
制作しています。凹凸を持った画面は様々な方向からの光を反射し、海面のように
うごめき輝きます。紙の向こう側へイメージが浸透することで奥行きを表現していた
前シリーズとは反対に、イメージをこちら側へせり出す画面として構築することにより、
彫刻的とも言える力強さを獲得しています。「質感に対してのフェティシズム」を感じ
させる反復作業はある種の不自由さを招き、それはズレを招くことによって何か未知の
領域に触れようとする試みとも考えられます。
 本展は、物語の一場面を思わせる4点のペインティングと、求心的イメージの正方形
のペインティング4点をメインに構成されます。小池は物語全体ではなく、作品が切り
取られた一場面として存在することを意図していると言います。日々の生活で我々が
洪水のように浴び続ける様々なイメージの類いではなく、曖昧な記憶や過去をたぐり
寄せるきっかけとなり得るイメージを「一場面」として投げかけてきます。制作を未知なる
存在との交信手段と位置づける小池初のペインティングのみで構成される本展、
この機会に是非ご高覧下さい。