2008-02-28

36 years old

I became 36 years old on February 25th.

IT was the best birthday with full of surprises,
so it will be the best year for me.
I am sure of it.

36 was my father's favorite number, so I am glad to be this age.

18 years x 2 = 36 years - 18 years since I graduated from highschool and went to the United States.

Time goes fast.
Time runs faster.

I am looking forward to this year of my life.

Once again this year will be a good one
because I am 36.

2008-02-24

next one


イスラエルから来ている演出家、モニ・ヨセフさんを連れて、東京・谷中にいった。古き良き時代の東京のかおりがぷんぷんする下町だ。写真は昼食に食べた、谷中七福神そば(いわゆるブログらしい写真を撮ってみました)。

そこで、こんな話しをした。

俺:「チャップリンがある取材を受けたときに、『あなたの作品で一番好きな作品は何ですか?』って聞かれたときに何て答えたと思う? (Do you know what chaplin answered when he was asked, "which one is your favorite film that you made"?)」

モニさん:「マ・ゼ?(ヘブライ語で『何?』)

俺:「Next one. (次回作だよ)」


その、次の作品(たち)に向けて毎日、一歩ずつだけど動いている。

それにしても今日も風が強かったな・・・。東京散策にはとてつもなくもってこいではない寒さだった・・・。

2008-02-21

普遍性と創造と想像とアウシュビッツ




1945年5月、ナチス・ドイツは滅びた。


いま・・・
アウシュヴィッツには親をさがす子どもたちの泣き声も、子をさがしてドイツ兵とどなりあう親の声もない。収容所のあとはそのまま残され、博物館になっている。ドイツは、ナチスのしたことを人道に対する犯罪だったと認めて、いまでもつぐないをつづけている。
でも、アウシュビッツはほんとうに終わったのだろうか?
ヒトラーは死んだ。ナチス・ドイツも滅びた。でもヒトラーを尊敬する人はいまでもいる。かれらは「ネオ・ナチ」とよばれ、その数はふえつづけている。

なぜだろう・・・
いま、私たちの心の中に、「優秀な人間」と「だめな人間」とを分けようとする考えがないだろうか?
みんなと同じことをできない人を「だめなやつ」だと決めてしまうことはないだろうか?
みんなとちがう意見をいう人を「じゃまなやつ」だといって、仲間はずれにすることはないだろうか?強いものにきらわれたくなくて、いけないことがわかっているのに、やってしまうことはないだろうか?
自分さえ得すれば、「他の人なんかどうでもいい」と、思うことはないだろうか?
あの時のように・・・

アウシュヴィッツは、狂った人びとが、まちがえて作ったものではなかった。ドイツ人がどうかしていたのでもなかった。
ただ、自分が困った時に、もっと困っている人びとを思いやれなかった。自分さえ安全なら、ほかの人がすこしくらい苦しんでも、すこしくらい死んでもしかたがないと思っていた。
自分が優秀で正しいと思うあまり、自分がほんとうはなにをしているのか、分からなくなっていた。
もしかしたら、アウシュヴィッツで罪をおかした人びととは、みんなどこにでもいる、ふつうの人たちだったのではないだろうか?
私たちと同じように・・・

アウシュヴィッツはほんとうに終わったのだろうか?
ガス室は、ほんとうに消えたのだろうか?
120センチの棒は、もうないだろうか?
私たちの心の中に、アウシュヴィッツは、ほんとうに
ないのだろうか?

―「アウシュヴィッツの子どもたち」青木進々・著 より



・・・・・・・・・今日、福島、白河にある、アウシュビッツ博物館に足を運んだ。芝居を作るプロジェクトの仕事で。山奥にある、古民家。まわりは畑しかないところにポツンとある、アウシュビッツ平和博物館。

運営のすべてがボランティア。ヨーロッパからかなり遠くに住む日本人が営んでいる博物館。

120センチの鉄棒をみた。子どもかどうかを判断する鉄棒。こどもたちは必死の背伸びする鉄棒。鉄棒に頭が触れなければ殺されるのだから。

どこの国がとか、誰が、とかはどうでもいい。
誰が、どんな仕事についているのか、はどうでもいい。
人種も、どうでもいい、と言える世の中になったらな、って自分なりに模索中です。

2008-02-18

再会


今日イスラエルからモニさんという演出家が来日した。僕が2004年から2005年にかけてイスラエルで一緒に芝居「バベル」を作らせてもらった演出家だ。その彼とまた別の形で一緒に仕事をさせてもらうことになり、今日早速打ち合わせを行なった。イスラエルの自宅を出てから約24時間が経過しているにもかかわらず、アイデアが溢れ出てくる。最初のミーティングというのは、まだ各自が無責任にアイデアを出しあえるので、僕も結構好きだ。一つのアイデアから次へのアイデアへを膨らましていくことができる。

モニさんとイスラエルで初めて会ってから4年が経つ。最後に会ってから約2年。時を経て、また一緒に仕事が出来ることを嬉しく思う。

写真は2005年「バベル」ドイツ公演のときのもの。共演者たちと終演後に。

phantom

ミュージカル「ファントム」を観てきました。自分の中にある元々のミュージカル好きな自分がうずきました。チケットは完売だそうなので、どんなに宣伝しても、もう観には行けないのですが、人の普遍性の部分をくすぐられる演出で、大沢たかおさんの芝居心に脱帽しました。 今まで外の世界を見ることなく地下で育ってきた一人の人間がそこにいました。コンプレックスを背負っていく一人の人間がそこにいました・・・

舞台や映画の真髄って、「共感」できることなのかもな。想像力をつかって。

2008-02-16

A Happy Valentine's Day


okurebasenagara...

2008-02-13

雪の演出家


栃木まで足を運んできた。新宿から東武鉄道直通の特急に2時間ばかりゆられると雪景色の日光に着く。あまり調べずにふらりと来た旅先、「世界遺産めぐり」というローカルなバスに飛び乗った。
東照宮。着いたとたん雪がしんしんと降り始め、光は白さを増し、音はその静寂さを増し、気が触れそうになるほど美しかった。そして様々な寺社が並び立ち、木々に囲まれたその土地に立っていることがなによりも心地よかった。寒いはずなのに暖かく、視界が雪で閉ざされているはずなのに透明に視野は広がっていった。

日光から鬼怒川へ向かうローカルバスにまた飛び乗った。いつの間にか雪はやみ、太陽が顔を覗かせ始めた。天気予報が当たった。このまま雪が降って雪を見ながらお風呂に入ろうって思っていた矢先。
晴れた鬼怒川に着き、ビールをいただき、外のお風呂へ。星が見える。渓流の音が聞こえてくる。ぼーっと川の対岸を眺めていると星空から雪が降ってきた。静かに一定の速度で降ってくる雪に見入っていると、いつの間にか雪が強くなってきて、いつの間にか吹雪き始めた。右へ左へ下から上から雪が狂乱している。自分が風呂に入っていることも忘れ、完全に雪に没頭していく。光に反射し、超高速で動く妖精のようだった。自然の有り様にトリップしていく感覚を久しぶりに思い出し、自分の存在への意識を完全にかき消して、思考を止め、吹雪く雪の次元を眺めていた。
そして、のぼせた・・・。

風呂からあがると雪はやんでいた。

最高の雪の演出家に出会った。

たまに自然の中に身を置いてみること、日常の意識をリセットして、無意識に在るものがのこのこ出てくる。のこのこ、のこのこ。



朝もう一度お風呂に入った。
太陽がのぼりかけようとしている朝6時30分。
また、雪が降ってきた。静かに静かに降ってきた。

最高の雪の演出家に出会った。

2008-02-10

畠山美由紀ライヴ


昨夜は横浜まで足を運び畠山美由紀 with ASA-CHANG & ブルーハッツのライヴを観てきました。これまで彼女がやってきた音楽とは趣向が異なり、ジャズのスタンダードから日本の名曲までを15名のビッグバンドと競演。すばらしい演奏でした。生のビッグバンドはやっぱりいいですね。音量がとても心地よく体が熱くなりました。・・・がライブが終わり外に出ると、港からの風に吹かれながら、雪が舞い降りていて、一気に体は芯から冷えていきました(一応、冷たい雪空を撮ってみたのですが・・・)。

実は、畠山さんがPort of Notesをやっていた頃から、英語歌詞を作らせてもらったりしてきたのですが、今回のアルバムでは英語歌詞の曲の日本語訳をやらせてもらってます。いわゆる翻訳というよりも歌手が歌っているであろうそのニュアンスを大事にして口語的な訳をしています。よかったらアルバム入手の暁には歌詞カードを開いて読んでみてください。リリー・フランキーさんとのデュエットなんかもあって、すてきなアルバムです。

2008-02-07

eloyrojas meeting


自分を含めた男3人で主宰する演劇のプロジェクトEloyrojasの2回目の打ち合わせを行なった。日本語にするとエロイロハス。よくエロい男がロハスな生活をしているからこの名前なのですかと聞かれるのだが、そういうわけではない。勿論、完全否定はできないが・・・。男3人ともなれば打ち合わせはときにエロい方向に発展もするし、食事もロハス気味だ。僕もひじきや豆腐は大好きだ。ゆうべもうまそうなカブが冷蔵庫でその存在を誇示していたので、煮物を作り、その皮をきんぴらにし、今朝、玄米の友にした。ロハス気味なのが伺え、ますよね。でも昼はコマ劇場でClosed Noteという映画の試写を見た後に歌舞伎町で熊本ラーメンをがっつり食べた・・・。今もなお喉が渇いている。

話しを本題に戻すと、打ち合わせ。話しが具体的になってきた。上演予定の日程も見えてきた。エロイ(と我々は呼んでいるので以降これで)の作家でもある星野氏も今頃早速本を書き出していることと思う。詳細が決まったら報告します。前回は僕と高川裕也氏の二人芝居。今回は・・・趣向が変わりそうだ。

この投稿に関連する写真がないので、年末に撮ってもらった自分写真第二弾アップします。と、こんな風に時々自分写真をどさくさまぎれに差し込んでいきますので。

2008-02-03

dance from Israel


今宵は神奈川県民ホールにイスラエルのダンスカンパニー"Batsheva(バットシェバ)"のダンス公演を観に行った。3年前にイスラエルに足を運んだときに観れなかったが、ついに今回観ることができた。35人のダンサーたちによる1時間半の群舞。圧巻だった。これだけのメンバーを呼び、5000円で見せ、主催を大声で謳わない神奈川県民ホールはすごい。スポンサーをいっぱいつけたりしている海外招聘公演は最低でも1万円するし、国内の公演でさえ5000円はとる。それだけ招聘や舞台作品の上演は金がかかるからなのだが、神奈川のからくりはどうなってるのだろうか?いつもいい作品を招聘し、5000円で見せてくれる。今回だってスタッフも合わせれば総勢50名は来日してるだろう、遠路遥々イスラエルから、20時間くらいかけて(距離はさほど遠くないのだが、ヨーロッパでの乗換えがとにかく時間かかる。因みに僕が行ったときは乗り換えの際、搭乗3時間前のチェックイン。30分弱インタビューされる。それは僕が個人的に怪しく見えるからということではなく。とは言ってもイスラエルに行った6回中、確かに2回ほど別室に通され、更なるチェックをされましたが・・・。なにか?)。

で、ダンスだが、35人が単調な動きから激しい動きまで一定のパターンを持って舞う姿は、なにか潜在意識に訴えてくるものがある。カメラが舞台上のダンサーを捉え、それが大きな画面で映し出されたりもするのだが、なによりもダンスそのものに見せられた。しかもものすごい体力と身体能力。自分ももっと小さいときから柔軟運動をしっかりとしておけばよかった・・・。

最近は芸人にしてもだんすにしてもピンの人が増えてきているが、集団の引き出すパワーはすごいものがある。もしかしたら舞台の魅力はそこにあるのかもな・・・。

単調な動き+集団の動き は強烈なインパクトを与える。ヒトラーが国民に与えた高揚感もきっと・・・。

2008-02-02

写真と歌詞


去年末に撮影した写真があがってきた。とりあえず一枚アップしてみます。

何年か前にOblivion(忘却)というタイトルで、LITTLE CREATURESの歌詞を書かせてもらったことがある。近々、”忘却”をテーマにやろうとしている企画があり、改めてその歌詞を引っ張り出してきて、多少手直しをした。歌詞の場合、楽曲にことばの音の数が合わなければいけないし、元々は英語で書いた歌詞だったので、日本語として今一度書き直してみました:

忘却

彷徨うように僕は揺られる
色は消えてなくなっていく
壊れた破片だけが残り
ページはめくられたまま、何も記されてはいない

雨の中航海する船のように僕は歩く
声は消えて遠ざかっていく
つけた足跡は忘れ去られ
僕は砂の上に踊っている

あなたが見つけたその場所には今はもう何もなく
僕はそこを通り過ぎるだけ
さよなら

街の片隅に僕は立ち尽くす
すべての軌跡が消えてなくなっていく
無数の壊れたことばだけが残り
檻の鍵はかけられたまま、何も記されてはいない

音にならない声で僕は泣き
抱える恐れを燃やし尽くそうとしている
つけた足跡のことも忘れ
僕は砂の上に戯れる

あなたが見つけたその場所には今はもう何もなく
僕はそこを通り過ぎるだけ

さよなら

2008-02-01

the end of January


このブログを始めてひとつきになる。なるべく日々更新をと思って始めたもののなかなかそうはいかないものだ。携帯であまり写真を撮る習慣もないからか、ブログに書こう、みたいなこともつい写真を撮り損ねている。人間ワンセグにはまだ程遠い・・・。
1月もつい先程幕を閉じた。早すぎる1月の終焉。ひとつき遅れの師走だった。
先週末、友人が結婚した。僕は生まれて初めて結婚式の司会をした。司会らしからぬ司会。でも思いのほか司会を楽しめた。勿論、せっかくの美味しい料理はむさぼるばかりで味は覚えていない。フォアグラを口にした途端、和牛のフィレを噛みしめた次の瞬間、式場スタッフが容赦なくやってきては、「では、次の進行お願いします!」 ・・・・・。
ともあれ、出会いというのはやっぱりすごい。僕がその友人と会ったのも、4年前、イベントでバーテンやってたときのこと。その彼が、新婦さんと出会ったのも、あるパーティで、たまたま同じ時計をしてたからとのこと。そして、結婚式でそれぞれのご両親を見ながら、彼らがどうして出会ったのかのに思いを馳せた。出会いの連鎖によって新しい出会いが生まれていく。
こないだ、高校の3年間を一緒に過ごした友達と二人で映画を見に行った。男二人で映画を見に行くというシチュエーションに二人で笑いながら、映画の後、新橋のガード下で飲んだ。高校のときに公園とかで人生語ったり、未来語ったりしてた友人。18年後の今も結局自分たちと人生や未来について語っていた。お互いがお互いに興味を持ち、聞きたくて溜まらない、聞いて欲しくて溜まらない・・・そんな会話が出来るんですよ、やっぱ、出会いはすごいって話。15で出会って、そのときはそんなこと考えてないのに、また再会してケツを蹴りあう(舐め合う?)。ノスタルジーに浸るのでもない、とにかく嬉しかった新橋の夜。
きのう、サッカーを観に行った。高校の同級生でサッカー通の友人から、とてつもなくいい席のチケットをもらって観に行った。メインスタンド前から6列目。選手の熱気が諸に伝わってくる。すごい練習を重ね、すごい努力をして世界の舞台に立っている日本代表の選手たち。外野は色々言うけれど、芝居や映画に関わっている人間として、敬意払いまくった。やっぱすごいよ、あの舞台に立てる彼らは。並大抵の努力じゃないでしょ。貫いていってるその姿を見せてもらって、心地よかった。

で、どのシチュエーションにおいても写真一つ撮っていなかった。ので、その結婚した友人とアイダホに旅したときの写真載せておきます。

And 最後に友人が掲示板で見つけてきたという文章を転載します。よい話です:

「クイズの時間だ。」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。

その壺に彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、
彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そして砂利を壺の中に流し込み壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。

そしてもう一度聞いた。「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。
彼は学生に最後の質問を投げかける。「僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」

一人の学生が手を挙げた。「どんなにスケジュールが厳しい時でも
最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込む事は可能だということです。」
「それは違う。」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ。
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう?」と教授は話し始める。

「それは仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、
自分の夢であったり…。ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を
満たしていけば、君達の人生は重要でない「何か」に
満たされたものになるだろう。そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事。」